今回はオオカミ少年から学ぶことというテーマで話したいと思います。
先日ある本を読みまして、その本から得られたことが面白かったので皆さんにも共有していきます。
読んだ本が「藁を手に旅に出よう」という本です。
寓話をもとに新人研修を行い新人達の育成を図っていくという本で、小説のようにストーリー性になっているので読みやすかったです。
その中でたくさんの寓話が出てくるのですが、今回はその中から「オオカミ少年」の話をお話ししたいと思います。
オオカミ少年の一般的な教訓
まずオオカミ少年のあらすじってご存知ですか?
村の少年が、村のオオカミの見張り役をやっていて、オオカミなんてきていないのに「狼がきたぞー」なんていう嘘を言いまくって村人を怒らせる話ですね。
最終的には本当にオオカミがきて、村の羊が全滅してしまうというオチです。
この話からは「ウソばかり言っていると誰も相手にしてくれなくなるぞ」という教訓を教えてくれるお話でもありますよね。
しかしもっと違う学びがあるんです。
起きる可能性と起きるインパクト
それがなにかというと、結論「可能性と起きた時のインパクトを考えよう」です。
先ほどの「ウソばかり言っていると誰も相手にしてくれなくなるぞ」教訓は、少年視点での教訓ですよね。しかしこちらは村人達の視点です。
そもそもなぜ、村人達は少年に門番をさせていたかわかりますか?
その理由は、オオカミが来る可能性を低く見積もりすぎていたからなんです。
形だけ少年に見張りをさせていたのが何よりの証拠で、もし本当にオオカミの襲来を考えていたら柵とか屈強な体の見張りを置くでしょう。
少なくとも少年に見張りなんてさせません
だから羊が全滅してしまったのは村人達側にも原因があるんです。
そうなると読み手の僕たちは「村人たち何してんの!」って思いますが、ちょっと待ってください。
それは、僕たちはオオカミが来るってわかっているからそう思えるんです。
当事者の村人達はオオカミが来るかも、なんてそこまで重要に考えていません。
これは自分たちに置き換えるとわかると思います。
いつか大地震が来るって言われているのに、何の対策もしていない人と同じですね。
そう考えると、村人がなんでオオカミが来ることは分かっているけど見張りを少年に任せたのか理解できますよね?
ここで重要になってくるのが、起きる可能性と起きた時のインパクトを分けて考えるということです。
インパクトは重要性って考えるとわかりやすいかと思います。
この二つの要素を用いて、グラフを作るとわかりやすくなります。↓
これで、可能性とインパクトを分けて考えることができます。
今回の「オオカミの襲来」は可能性は低いけど、起こった場合のインパクトは強いじゃないですか?
だからこのグラフでいうところの右下に普通はきます。
ただ、村人達はオオカミ襲来を甘く見てしまい、結果的に羊を全滅させてしまった。
なので村人達はオオカミ襲来は左下に分類させてしまったんです。
しかし僕たちは村人たちを責めることはできません。
僕たちも全く同じことをやらかす可能性があるからです。
オオカミに襲われたことがないのに、襲われることをイメージするってめちゃくちゃ難しいんです。
だからこそ、可能性と起きた時のインパクトを分けて考えないといけない。
もし予測が立ちにくい場面に遭遇したときは、起きる可能性よりもどれくらいインパクトが大きいのか判断してみてください。
僕はいつ大地震が来てもいいように備蓄はしてあります。
藁を手に旅に出よう
ということで今回は、オオカミ少年からの教訓を書かせていただきました。
「藁を手に旅に出よう」はこの他にも様々な寓話をもとに、一般的な教訓とは全く違う視点での教訓を教えてくれます。
例えば桃太郎って鬼を倒しに鬼ヶ島に行きますが、そもそも鬼って何か悪いことをしましたか?
鬼からすれば桃太郎ってテロリストでしかないんです。
この桃太郎から学べることは何か。続きは本をご覧くださいませ!
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